敬虔なる信仰者でひたすら仏教研究に精通した人がいた。仏教との触れあいは、両親が信仰家だったからで、自然と好きになっただけであった。 できれば、好きなことを仕事にできればと念じていたところ、幸運にも仏教研究をしながら、生計が立てられる職に出会えた。かくて結婚し家族をもつようになった。 好きなことが生活の糧になり、家族を支えるものに変わった。大好きなお釈迦様との心の触れあいは、家族の食い扶持になった。 そのうち、仏教研究をする自分が嫌になった。口ではお釈迦様のため、人々のため、教団のため、世界のためと言いながら、実はすべて自分のための振る舞いであった。他の研究者に称えられるような研究成果・世間の目を引くような論文、それだけを考えた。自分が生き残るためのものだった。 余命を考えるようになった時、故郷の墓を尋ね、親から与えられた信仰に再び出会うことになった。何が足りなかったか。これだけ努力してきたのに、そして成果を出してきたのに、どうして心に穏やかさと満たされるものが残らないのか。 結論はわかっていた。人々に生き方を教え、人々に輝きを与える仏教研究とその努力をしてこなかったことにあった。 老齢と共に、再び輝きを取り戻した。そして輝きを持って死んだ。その反省の記録はどこにも残っていない。 |